年間の試合数が決して少なくはない環境で息子が剣道を始めて今年で7年目を迎えようとしている。剣道界でいういわゆる高段者の剣道家にすれば「卵」だと言われる年数であることは百も承知だが、それでも試合や遠征に参戦するたびに頂く大会の記念手ぬぐいが(数えてはいないが)もう軽く100枚以上は息子のクローゼットにおさめられているはずだ。

先日、息子はある剣道家から非常に貴重な手ぬぐいをプレゼントして頂いた。正直なところ、こんな手ぬぐいを中学生坊主の息子が頂くわけにはいかないと思うほど、まあ「超レア」な手ぬぐいだったので大変に恐縮した。

 

それをきっかけに、ふと、こうやって思わぬかたちで頂いた手ぬぐいを整理していると、かれこれな枚数になっていることに最近気がついた。

頂いた手ぬぐいは、その時、その時、不思議なご縁で出会った剣道家たちから息子へと手渡された手ぬぐいばかりだった。 

それらの手ぬぐいを一枚一枚眺めていたら、突然「感謝」という言葉が私の中で沸いた。

手ぬぐいに書かれた言葉を少なくとも息子が本当に理解できるには、これからまだまだ長い年月を要するほどの深い意味を含んだ言葉ばかりだ。どう謙虚に構えても、こういう手ぬぐいを頂くには20、30年は早い、と思える貴重な手ぬぐいを、愚息のために快く手渡してくれた剣道家たちを思うと、まさに心から「感謝」という言葉以外になかった。それは単に手ぬぐいを頂いたことへの感謝という意味ではなく、手ぬぐいを渡してくれた剣道家たちは、同時に息子と私に、考えろと疑問を投げかけ、道を歩むことへの厳しさを教えてくれた。まさにそれを頂いたことへの感謝という意味だ。

 

 

3歳になった息子の誕生日に、ヴァイオリンを持たせた。それは演奏家である私のたっての夢だった。

「学校の始業時間に鳴るチャイムの始めの音はBの音で始まっているね・・・・」

私にでさえそこまで持つことの出来なかった絶対音感を持ってこの世に産まれた息子の優れた音感に、私は息子に大きく期待をした。

 

しかし息子はある日、自分の意思で剣道を始めると言い出したのだ。私のわが子に託すプランに狂いが生じ始めた。思っていたより息子の剣道に対する思いが強いので、ヴァイオリンと剣道を両立させるというギリギリの妥協点で折り合いをつけ、仕方なく息子に剣道を始めることを許したがまもなく、息子はヴァイオリンに費やす時間を剣道にすべて注ぎたいと言い、私の反対を振り切ってヴァイオリンを辞めてしまった。

その頃、息子から音楽を奪った剣道を憎いと思った私は、剣道の稽古の日になると息子が学校から帰宅するまでの時間を見計らって、息子の籠手の片方を箪笥の奥に隠し、息子に剣道の稽古に行けないようにした日もあった。今思えばなんと愚かな母親だったのだろうと思うが、理屈抜きで、私にはとにかく剣道が邪魔で邪魔で仕方なかった日々が続いていた。

 

現在の息子は、剣道仲間が病気で稽古を休めば必ず「大丈夫なのか?元気で早く稽古に来い」とメールを送る。仲間が稽古着を稽古場に置き忘れて帰った日、汗びっしょりになった自分の稽古着と一緒に持ち帰り、自分と仲間の稽古着を洗濯機に回していた。

 


俺に取って剣道は俺の人生そのもの

 

誰に期待されようがされまいが関係ない。俺は剣道を遣る

 

剣道は好きだ、嫌いだの次元ではなく遣ることは俺に与えられた使命

 

 





キザかもしれないが、これが息子の「語録」だ。

しかし未熟ながらも、こんな息子に成長したのは皮肉にも私が嫌っていた剣道を息子が学ぶ途上で出会った、多くの指導者や剣道家のお陰であることに、この愚かな母親はもう7年近くにもなって気がついたのだ。

 

感謝・・・・この言葉以外に何があるだろうか。



頂いた手ぬぐいを眺めているとこれらの剣道家たちが残した言葉には「心」という文字が多く使われていることに気がついた。



剣道とは、心なのだ

 

この度、これまでに頂いた手ぬぐいには歴史が宿っていると思ったので私のサイトで宝物コンテンツとして残しておきたいと思った次第なのである。

 

 

 

人の見ていないところで、そっと人の靴を揃えることのできる人間に

なりなさい
          佐薙 征二

 

 

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